平教経

 入道相国、平清盛の弟である平教盛と藤原資憲の娘との間に1160年生まれ。1179年11月18日、能登守となる。
 平氏の中でもガチな武将で、平家の都落ち後、平家討伐の任に付き追いかけてくる木曽次郎義仲との水島合戦(1183年10月1日)では副将として勝利を得ました。その後も各地で活躍し四国平定や中国進出により平家の西国での足場を固めていきます。
 一ノ谷では義経に敗れますが、その後の瀬戸内海での戦では勝利を重ねます。これが終わるのは再び義経が出てくる屋島、壇ノ浦で、これに敗北を喫したのはご存知だと思います。でもその何れにおいても能登殿は獅子奮迅の働きを示し活躍します。
 特に壇ノ浦に至っては、ほぼ勝敗が決した後も戦い続け、教経が乗る舟が近づいては源氏方は逃げるという有り様。それを見かねた平家方総大将の平知盛が「もはや無益な殺生はやめよう」と連絡するのを聞けば、ならば総大将義経1人を狙おうと、義経の乗る舟を見つけて飛び移ります。それを見た義経は別の舟へと飛び移り、それを追って教経もまた追い飛び移り、そしてまた逃げられる、を繰り返し、つまりは「八艘飛び」を義経に強いします。
 そして最後には
「おう、貴様ら丁度いい。死出の旅路の供をせい」
 と、源氏方2名の首を両腕で捉え、1185年3月24日壇ノ浦の海に沈みました。
 
 と、言うかですね、右手に長巻、左手に大太刀を装備って、これ両方ともツー・ハンデッド・ウェポンでしょ? あんたラージ・サイズ・クリーチャか何かですか?