冬戦争で活躍した日本製大砲

TAIPALE-JÄRISEVÄ戦線の戦傷120ミリ砲
冬戦争開始第2日うなりを上げたこの大砲は,1939年12月6日Vuoksi川を越えて攻め込む敵を防衛するため162発を発射した。同日,戦闘の終結まで続いた敵の鋼雨のような砲撃が我が砲台に向かい始めた。我が砲台に対して敵は10万発以上も撃ち,砲火の猛攻は時に1分間に100発にも昇った。
1940年2月の防衛戦中この大砲はあちこち被弾し,照準器や安全装置などが壊れ使い物にならなくなった。それでも2月19日の砲身に亀裂が走るほどの極寒の防衛戦に加わった。これにもかかわらず照準器なし,撃鉄代わりに金槌で叩いて砲撃を続けた。敵戦車への直撃は攻撃の最後には敵を逃亡へと向かわせた。
この戦いでこの大砲が放った最後の648発目は砲口で爆発した。停戦中にこの大砲はTaipale防衛の生き証人として防衛線から運び出された。停戦後Taipaleは敵に明渡した。