『ゲド戦記』が宮崎吾朗監督でなければならない理由【↑】
…………。
「俺、やんないよ。俺がやんなきゃ誰がやるんだ。できるやつなんかいねえよ、断れ」
なんかはまだ理解できる賛同できる*1し、
息子に対して、
「おまえのような人間には、才能もなければ力もなければやる気もなければ、監督としての能力がなんにもない。おまえには『ゲド戦記』は出来ない!」
ってのは酷いとは思うけど、まあ許容範囲。
しっかしそこまでいっときながら、ル・グインとの会議中に
そこで、鈴木敏夫さんが、宮崎吾朗くんが描いたポスターを出しました。(略)ル・グインさんに見せたんですね。
するとそれを横から見ていた宮崎駿さんは「なんだ、これは。こいつは『ゲド戦記』をまったくわかっていませんからね」って(爆笑)。
(略)まるで海原雄山が山岡史郎にいうみたいに、ついに馬脚をあらわしたな、おまえがなによりわかってない証拠だと、ものすごい勢いで言って、それだけならともかく、それにくらべてわたしが描いてきた『ゲド戦記』の絵は……(爆笑)……
宮崎さん、いきなりカバンの中から今まで描きためた『ゲド戦記』の街の設定をヤマほど出して、ほらほらほら、わたしのが正しいでしょって言って。もうアーシュラ・K・ル・グインさん、ぽかーんですよ。
ってのは凄すぎる。
追記3:ちなみにご本人は、幼少期の頃から、アニメがやりたかったんだけど、ちょっと絵を描く度に父親に「おまえはダメだ」と言われてきたんだそうです。世界の宮崎に。(さらには母親にもアニメだけはやるなと言われて来たそうですが。)で、両親どちらにも言い出せなくて、大学では園芸やらをやっていたんだそうです。そして、紆余曲折を経てジブリ作品の監督に。よく考えると、これはこれで、なんとも壮絶な人生なり。
これで折れなかった宮崎吾朗も凄いと思いますが。ともあれ判官贔屓が大好きな私としては、宮崎吾朗を応援したくなってきました。あれですよ。午前中から衛星放送で新入幕力士をチェックして、その成長を楽しむ、とか、そういう感じ。
*1:理解できる賛同できる:本当に理解できんのとツッコミがあったので訂正。
でも「賛同」ってのも、そう発言すること、そう発言したくなること、その意気込み、それらに対して賛同できる、という意味。
えーと、私のそばに居なければ、とも限定をつけておこう。そばに居る人間にそんな風に振舞われたら不愉快だ。まあずうっと付き合ってる人間にやられたなら、もう慣れてるのかもしれないけど。
で、「発言内容が正しいかどうか」となると賛同できない。「俺がやんなきゃ誰がやるんだ。できるやつなんかいねえよ」などということは無いと信じるから。手前ェの思いで人の可能性を限定すんな。ポシビリティなめんな。手前ェ、ハイロードだろ。そんな感じ。
つか注釈じゃあなくって、記事にしろよ。って、長さだ。