宇喜多直家
- 1529年
- 宇喜多興家の子として生まれる。
- 祖父宇喜多能家は主君浦上家の下で砥石城城主として幅を利かせる。
- 1534年
- 宇喜多興家、同僚島村盛実から奇襲を受け砥石城を追われる。
- 島村の目を逃れるため直家はウツケを装い過ごし、成人すると浦上氏に召抱えられる。
- 1544年
- 海賊に対する乙子城を任せられるが、知行少なく近隣で盗賊行為を行い、さらに丸一日絶食をする失食と言う日を月に3〜5度つくり兵糧を蓄える。
- 中山信正の娘を妻に取る。
- 主君浦上宗景を共謀し、浦上配下で力をつけていた舅である亀山城主中山信正、祖父の仇でもある島村盛実を討つ計画を立てる。
- 1559年
- 中山信正暗殺。沼城落城。
- 島村盛実暗殺。砥石城落城。
- 舅である中山信正と頻繁に酒宴や狩猟を行う仲になっていた直家はある日の茶亭での酒宴の際、双方の家来を城に帰し和やかに談笑を行いつつ、信正が油断したところを暗殺。そのまま中山氏の沼城に入り城門を開き、帰したと見せて潜ませていた家来を招きいれ、混乱している沼城を攻め落とす。
- 合図の狼煙を見た主君浦上宗景は、「中山信正が謀反を起こした。対処に当たっている直家に加勢せよ」と島村盛実に通達。沼城にたどり着いたが「城は既に討ち取ったが、来てくれた礼をしたい」と言われ、盛実は中に招かれ暗殺される。そのまま城主の居ない砥石城を攻め落とす。
- 直家の妻、父親を殺され自害(剃髪との説もあり)。
- 1561年
- 義理の弟である穝所元常を暗殺。龍口城落城。
- 岡郷介、直家の元を逐電。乞食の老婆に衣食をふんだんに与え母に仕立て上げ、龍口城の川向いにそびえる船山城の城主であり、龍口城主穝所元常と敵対関係にあった須々木氏に召抱えられる。が、馬を盗み須々木氏の元を逐電。穝所元常の元に逃げ込む。人質でもある乞食女が母親として殺され嘆き悲しむ姿に、穝所元常は心を許す。そしてしばらくして穝所元常の信頼を受けるようになり、油断したところを暗殺。そのまま直家の用意した舟に乗り逃亡。直家は城主が死に混乱した龍口城を攻め落とす。
- 1562年
- 1566年
- 三村家当主三村家親、暗殺。
- 数年前より交戦状態にあった三村家親を記録に残る日本初の狙撃にて暗殺。
- 1568年
- 松田家臣宇垣与右衛門、暗殺?
- 金川城周辺で開かれた鹿狩りの際、宇喜多側の人間によって「鹿と間違え」射殺される。松田家中からも疑いの声があがる。
- 1568年7月
- 1569年
- 直家、浦上宗景に叛旗を翻すが、同年謝罪。帰参を許され、娘を宗景嫡男である浦上宗辰に嫁がせる。
- 1570年
- 1574年
- 主君浦上宗景と対立
- 1575年
- 主君浦上久松丸、毒殺
- 宗景の兄の孫である浦上久松丸、9歳になったとき浦上家当主として直家に擁立される。直家はそれをもって宗景を播磨へと退ける。そして久松丸はその母親ともに毒殺される。
- 備前国全土を掌握。
- 下克上
- 1577年
- 娘婿浦上宗辰、毒殺
- 機嫌を伺いに岡山城へ赴き、天神山城に帰るが同日死亡。
- 娘、自害。
- 1579年
- 1581年
- 虎倉城主伊賀久隆、毒殺。
- 岡山城にて直家は饗応を開き、有力家臣である伊賀久隆、毒殺。
- 同1581年
- 宇喜多直家、死亡。
さすが宇喜多直家、半端ねぇ。弟の宇喜多忠家に、兄と会うときは常に死を覚悟して鎖帷子を着ていた、と言われるだけあるわ。
どうでもいい追記:
「宇喜多が浮き立ってる*1」のは、この人じゃあなくって八丈島に島流されて秀家さんの方だろう。明治になってようやく罪を許され、子孫がリイド社にいらっしゃるというお話の。