軍艦アパート

 id:walkeriさんのところで話題に上がって(と、いうか話題に上げて)懐かしくなったので、思いつくままに雑然と。
 大阪は浪速区、ミナミと通天閣の間くらい、堺筋日本橋*1近辺の電気屋*2のすぐ東隣、そこに軍艦アパートはありました。
 屋上には煙突のような物体がニョキニョキと生えており*3、また住人が勝手に窓に継ぎ足した出し屋と呼ばれるスペースを作り競ったその側面*4などの風貌から、いつしか「軍艦アパート」と呼ばれるようになったそうです。
 その軍艦アパートのうち南日東住宅に母方の祖父が住んでいました。いつから住んでいたのかは知りませんが、戦後はそこから通天閣近辺の雀荘に出入していたそうですから、その頃には住んでいたのでしょう。
 伝え聞いた話しでは、昭和初期にはこの近辺はスラム街のような有り様で、都市整備の際にその対策として下寺住宅、北日東住宅、南日東住宅と、集合住宅を3棟つくり、相当家賃を低く抑えて人々を入居させたそうです。その家賃もほとんど値上げが行われなかったそうで、祖父を我が家に引き取る際、ドタバタと慌しくて家賃を数ヶ月間払っていなかったのですが、その貯めた家賃を払いにいくと、まったく使っていなかった光熱費1か月分より家賃数ヶ月の方が安かったというから驚きです*5
 その所為か入居権だけは又貸し又貸しされる内*6、ウナギ上りに高くなり、うちも祖父母の住んでいた2室(祖父名義で1室、祖母の旧姓名義で1室)を処分したときには、それなりの金額になったそうです。
 その祖父にとって私は初孫だったので*7、色々と可愛がってもらいました。なもんで祖父の家に遊びにいくのが大好きで、土曜は授業が終わると古家の大東や新家の堺から祖父のうちに泊りに行っていましたし、夏休みなどの長期休暇の折には家にはほとんど帰らなかったと記憶してます。
 無論、同年代の友達はそこにはいなかったので、そうした友人らとの付き合い方っていうものを余り学べなかったのですが、代わりに5分も歩かないうちに電気屋筋、10分もあるけばミナミや通天閣に行けた環境のお蔭で、電気屋の兄ちゃんや本屋の親父、さまざまな古本屋、大小の玩具屋、通天閣のたもと近辺の水商売のおネエちゃん、それからリヤカー引いたルンペンとの付き合いは得られました。
 祖父にはカブ札、花札の使い方、また表に出れば値引き交渉の仕方などを教えてもらいましたし、本の読み方を学んだのも祖父からだと思います。多分そこで読んだ『カムイ外伝』が始めてのマンガでしょうし、『点と線』が初めての小説だったのではないかいな。
 また水商売のおネエちゃんに連れられてパチンコもしましたし、電気屋の店頭のパソコンを使わせてもらい、セーブディスクを作ってもらって、幾つかのアドベンチャー・ゲームはそこでクリアしました。
 懐かしいなァ。風呂場の裏手から身を乗り出して、しょっちゅう失火するカバン屋の火事をよく見物したものです。
 もうこの軍艦アパートは取り潰されて、その風景は写真か記憶にしか残されていません。父方の祖父も大阪出身*8四条畷住まいであり、田舎と言う感覚に乏しい私にとって、住民レベルによるえらくスプロールな、雑然とし何の統一感も無いここが確かに「故郷」でした*9

 2005/03/19追記:ちなみに場所はこちら。市営下寺住宅、市営北日東住宅、市営南日東住宅というのが、それにあたります。マピオン上ではまだ残っているみたいですね。
 2005/06/13追々記:検索とか「教えてgoo」とかで来られる方がそれなりにいるみたいなのだけど、どういう思いを抱かれているのかちょっと興味に思ったり。↓のコメント欄に何か書いていただけると、旧住民としては嬉しかったり。

*1:日本橋」読みは【にっぽんばし】。Nippon-bashiな。【にほんばし】に非ず。略称は「ぽんばし」。

*2:電気屋筋」通称、でんでんタウン

*3:「煙突のような物体」http://www.slash-design.com/ssp/apa01/apa01_14.html

*4:「出し屋」この出し屋は非常に格好良い。これぞ出し屋という雰囲気。
  →http://www.linkclub.or.jp/~kazumog/tabisyasin/gunkan/gunkan.html

*5:「安かった」その分、騒げば下の階に響きますし、天井ではネズミが暴れますし、夏にはゴキブリが大量に取れました。

*6:「又貸し」祖父が退去する際には、祖父も含めて建設当時の本来の目的で入居していた人間は1人もいなかった。それどころか、私の叔父が祖父に挨拶に来たときには、住居人の持ち物と思しきリンカーンやハーレーが駐車されていたそうだ。

*7:「祖父にとって」祖母にとっては違った。

*8:「大阪出身」本籍:天王寺

*9:「故郷」魂の故郷は中つ国なのな。