wikiの掲示板の方の再掲と言うか何と言うか

 オーランスは何だって出来る神である。戦士であるし、盗賊であるし、土地の開墾や牧畜を編み出したのだってオーランスなのだから文化英雄的側面も持っている。というか信仰しているオーランス人にしてみれば、風の神様というよりも文化英雄の側面の方が大きいんじゃあないだろうか。
 しかし農夫たちは“農夫”オーランスを信仰しているか、手先の器用なオーランスに技術職を期待してるかと言えばそうではない。オーランスはそうした雑多な仕事を、すでに子供たちに譲り渡して悠々自適の生活に入っている(嘘)。“農夫”オーランスが消えたわけじゃあないのだけれど、それでも人々はオーランスではなくデューレブやバーンターを崇めている。“農夫”オーランスなんて近代的じゃあないのだ*1
 これと同じことがフマクトとカーガンとの間に言えるんじゃあないだろうか。なんて思ったりもしたのだが、これを確認するためには歴史時代以降のカーガン信仰についてとか、色々なんかややこしいことを調べなくっちゃあならなさそうで、放棄*2

*1:「近代的」しかし新たに土地を開墾しなくてはならない開拓農民などは、一時的に“農夫”オーランスを崇めるのではないだろうか。

*2:「放棄」ここ数日、考え事しすぎ。ぶっちゃけ面倒くさい。義務感だけでやっても良い物なんて出来ないので、やめやめ。