武家官位

  • 戦国以降、自称が増える。
    • 後に朝廷に認めさせるような例もあり。

 そんな感じ。つまりはテケトー。言ったモン勝ち(認められたもの勝ち)。

  • 江戸になると幕府が勝手に決めて朝廷に認めさせたりしはじめた。
    • すでに定員はなし。

 追記:上のは適当に書いたので調べてみたら、Wikipedia武家官位がそれっぽかったですよ。

  • 禁中並公家諸法度の第七条で武家官位を、「従来の公家官位ってか本来の官位とは違うものですよー。名前は一緒だけど別物ですよー」と定義。
  • 大名は従五位下従四位下
  • 「○○守」は官位とはされず、叙爵された者が称しているもの
    • ただしー、同姓同官名は禁止
  • ちなみに
    • 本来の官位で言えば「国の守」の地位はそんなに高いものじゃあなくって、大国*1の守で従五位上。上国の守で従五位下。なんとか天皇に謁見できる身分です。
    • 当然、平安の時代は官位が生きていて、例えば930年に土佐守になっちゃった紀貫之は土佐にちゃんと赴いて住み着いてます。そして935年任地である土佐から京都への帰り道を元ネタに有名なオカマ日記*2を書いたわけです。
  • http://d.hatena.ne.jp/Ayukata/20040531/p4

*1:「大国」陸奥国上野国常陸国武蔵国上総国下総国伊勢国近江国越前国大和国河内国播磨国肥後国

*2:「オカマ日記」をとこもすといふ日記といふ物をゝむなもして心みむとてするなり