ヴィンランド・サガなトルフィンな時代の背景の練習

 (推敲前適当文注意
 第一話においてフランク族同士の戦争がなされているけど、既にフランク王国が構成されている以上、小競り合いとは言え将軍が出張ってくるような戦争なんてあるのだろうか、って考えてみたけど、実はある。無論、何時まで経っても蛮族は身内どうしてで戦い続けていた、という訳ではありません。481年には、サリ・フランク族のメロヴィクスの孫クローヴィスが全フランクを統一し、メロヴィング朝を開きます。その後、フランク王国は混乱の時代を迎えますが、今度はカール大帝の父である小ピピンが751年王位戴冠し、カロリング朝を開きます。そしてカール大帝の孫の時代、フランク王国は三人の王子たちのために三分割され、こうして843年に西フランク王国が成立します。
 しかしこの西フランク王国も987年、即ち『ヴィンランド・サガ』第一話の時代より25年前にカロリング朝の血は絶え、王家の分家であったフランス公兼パリ伯ユーグ・カペーが王位を継ぎます。これをもってユーグ・カペーが所領としていたイル・ド・フランス地方のフランク語方言が古フランス語として成立し、これをもって王国を西フランク王国ではなく、フランス王国と呼ぶようになります。が、フランス王となったものの、彼が実際に支配する地域は本来の所領であるイル・ド・フランス地方、すなわちパリ近郊でありました。他の地域はそれぞれの封建諸侯が支配する土地に他なりません。当時のフランスは大きく分けて四つに分けることが出来ました。

  • まずは王と封臣契約を結んだ諸侯たちの土地。これはフランス北部に集中しています。
  • それから形式上はフランス王に臣従していながら、実質は独立を保っていた地域。これは北部はノルマン人のノルマンディー公国。北西部はブリトンケルト人の土地ブリタニー公国。北東部のブルグンディー公国。そして南部のアクイタニア公国です。
  • 次に王ではなくアクイタニア公と封臣契約を結んだ諸侯たち。これはフランス南部に集中しています。これによってアクイタニア公の影響力下の地域はフランス王を越えるものとなっていました。
  • そして最後に、今で言うフランスでありながら当時はフランスで無かった地域。これはローヌ川東岸、今で言うプロヴァンスやその北部あたりで、この頃はブルグンド王国がありました。ブルグンドという名はブルゴーニュの語源ですが、このブルグンド王国はブルゴーニュとは違う地域にあり、ブルゴーニュあたりは先述のブルグンディー公の支配地でした。

 この状況は1012年、ユーグの息子、二代目のフランス王ロベールの時代にもそう変わるものではなく、1002年にブルグンディ公が死亡した折にその所領を奪い取ることに成功していたことくらいが違いといえば違いです。
 さて第一話の戦闘は巻末地図を見るとフランス南部で行われているようです。またフランク族同士の小競り合いと言われている以上、ブルグンド王国との戦闘でもないでしょう。ジャバザ将軍配下の兵は攻め手であり、フランス語を話しており*1、何よりも70ページで「国王陛下の敵となるやも……」と言っている以上、王と封臣契約を結んでいる側であるのでしょう。それらを支えに地図をよくよく見て、ロアール川沿岸ということを考えると、恐らくはアクイタニア公に臣従しているオーヴェルニュ伯領の北部かブルボン伯領の南部じゃあないのかなぁ。クレルモン近郊とかその辺。

*1:「フランス語を話しており」いやまあ当時のフランス人が現代フランス語を話していたはずは無いのだけれどもね。