その18:デーン人

 さてアングロ族【Angle】とジュート族【Jute】は民族大移動でやって来る以前、ユトランド半島【Jutland】に住んでいました。『ゲルマーニア』を見ても解る通り、アングル族【Angles】は、民族大移動前は南ユトランドあたりに棲息していましたし、ユトランドという名称自体、ジュート族の土地の意なのですから、ジュート族【Jutes】に到っては当然、ユトランド半島出身でした。
 彼らの移動後、その地に居たのはデーン人でした。その名前は今もユトランド半島の大部を領土とするデンマークとして残っています。
 このデーン人の王家の国家による、すなわちバイキングによる略奪行為が、8世紀後半頃より活発になっていました。それはイングランドに対しても同様でした。そして9世紀半ばにもなると、ゲルマン民族大移動の最後の一波として、その方向性は略奪から定住へと向けらます。遂に856年、デーン人たちはイースト・アングリアで越冬し、翌年ノーサンブリアの首都ヨークが征服され、ここはデーン人たちの拠点となります。
 そして更にデーン人の領土は広がりを始めていました。そこでウェセックス王アルフレッドは871年、平和を買い取るため金を支払い、デーン人の矛先がエセックスに向いている間に勢力を整えます。878年、エディントンの戦いでデーン人破ったアルフレッド大王は、「ウェドモアの協約」を結び、その中でデーン王を改宗させ、自らの養子にし、こうしてデーン人の南下を食い止めることに成功しました。さらに886年にはアルフレッド大王によってロンドンが奪還され、イングランドの北東部(イングランドの約半分の面積)が「デーン・ロウ【Dane Law】」、すなわち「デーン人の土地」として確定されました。
 ただデーン人たちはその慣習法などは残したものの、徐々に定住・農民化していきアングロ・サクソン系王国の支配下に組み込まれていきます。