その25:十字軍

 その彼も1087年、フランス王との交戦中に死亡します。そして彼の有する土地は息子らに分配されました。まず長男ロベール【Robert】には、やはり一番重要な父祖伝来の地であるノルマンディー公の地位が譲られます。そしてその弟ギョーム【Guillaume】にアングルテール王の地位が譲られました。また娘たちもカスティリア王やブルターニュ公、ブロワ伯に嫁ぐなど、ノルマンディー公国は万全でした。
 その最中に起きたのが第一次十字軍です。これはそもそもはセルジュール・トルコの拡大により、小アジアを奪われたビザンツ帝国アレクシオス帝がローマ教皇ウルバヌス2世に救援を求めたことに端を発します。
 1095年にクレルモン公会議にて、ウルバヌス2世はキリスト教国諸侯に対し、ビザンツ帝国の救援のみならず聖地エルサレム奪回を呼びかけました。以前よりエルサレムイスラム教国の支配下にありました。しかし以前は大過なく巡礼を行えていたのに対し、セルジューク・トルコ支配下になってからは、その巡礼が妨害されはじめた、というのが、エルサレム奪回の理由です*1
 こうして宗教的熱狂の高まりの中、1096年から1099年にかけてカドフェルも参加した第一回十字軍が始まります。
 この十字軍は成功に終わりました。コンスタンティノープルから小アジアへと移動し、イスラム諸勢力と闘いながら南下を続けてエルサレムを奪回したのです。そうして征服した小アジア及びエルサレムにはラテン国家*2が創られました。
 カドフェルがマリアムと出会ったのは1098年、ノルマン王ボヘムンド1世の治めるアンティオキア王国だと言われています。そしてカドフェルはこのラテン国家に滞在を続けますが、1113年に息子オリヴィエが生まれた頃にはその土地を離れていました。

*1:エルサレム奪回の理由」この妨害が本当にあったかどうかは定かではない。

*2:「ラテン国家」小アルメニア王国エデッサ伯国、アンティオキア王国、トリポリ伯国、そしてエルサレム王国。