その24:アングルテール経営

 ギョーム自身は辺境アングルテールの地を踏んだのは、10度にも及ばぬ程の回数で、その本拠地は依然としてノルマンディー公国におき、周辺諸侯と戦いを続けます。そしてアングルテールには代官を置き、大陸風の経営を苛烈に行いました。古来よりの慣習を尊重し、また州制度も引き継いだものの、イングランド統一あたりに生まれた古い封建制を打ち砕き、再編成を行ったのです。
 まず彼は抵抗するアングル人領主より領地を没収し、自分と同族であるノルマン系フランス人の貴族や騎士たちに分配しました。そして厳格な行政・司法組織を樹立することにより、王権主導型の中央集権的封建国家を確立しました。それでいながら王の不在のために、王国経営にあっては王権直属の貴族らが会議に列席するという議会政治の下地も生まれつつありました。
 更には教会改革を実施し、国王による教会支配を打ち立てます。
 こうして支配者はフランス人、被支配者はアングル人となり、支配者層は古フランス語を話し、被支配者層はアングル語を話すようになりました。
 これら証拠として挙げられるものに、1085年にアングルテールにて始めて行われた全国的な土地調査を元に1086年に作られた租税台帳・土地台帳「ドゥームズデー・ブック【Doomsday Book】」が上げられます。これによれば王権直属の貴族180人中174人がノルマン系フランス人でしたし、16ある司教座のうち15がノルマン系フランス人のものでした。
 この土地台帳の名前は、そのまま1970年にはゲイリー・ガイジャックスがグレイホーク世界を始めて世に発表した同人誌の名前となります。
 またこのノルマンディー公がアングルテールを支配する中、1070年にはシュールズベリ城が築城され、1080年にはウェールズ侯国トレヴリューにカドフェルが生まれました。そして1083年、シュルーズベリ大修道院の建立が開始されます。