その27:カドフェルな時代

 マチルドは1128年、エニシダの枝を髪飾りとするなど伊達男“美男伯”としられたアンジュー伯ジェフロワと結婚します。このエニシダの髪飾りは、後に家名としても通用するほど有名だったようです。
 遂に1135年12月、アンリが死去し、ノルマンディー公とアングルテール王の座がマチルドに移ると見られましたが、ところが女性の君主を嫌った貴族らは“征服公”ギョームの娘のうち、ブロワ伯エティエンヌ・アンリ【Etienne-Henri】に嫁いだ次女アデル【Adèle】の子、つまりはアンリの甥にあたる、ブロワ伯の次男坊、エティエンヌ【Etienne】を擁立します。
 こうして国はマチルダ支持派とエティエンヌ支持派に二分され、内乱が起こりました。またこの内乱には無論のこと妻の援助としてアンジュー家が介入をし、マチルドはノルマンディー公国の奪還に成功します。エティエンヌは大陸に居場所をなくし、海を渡り辺境アングルテール王国に逃げ込みました。
 さて、この関係はどこかで聞き覚えが無いでしょうか。そうです。この今こそがカドフェルの時代です。マチルドとは女帝モード【Empress Maud】のことに他なりません。エティエンヌとはスティーヴン王【Stephen】のことに他なりません。カドフェルの息子オリヴィエが仕えるダンジュー家とは、女帝モードの嫁ぎ先アンジュー家なのです。
 この時代とはフランス人がフランス人同士、フランスで好き勝手に戦っている時代であって、アングルテール、すなわちイングランドとは金庫であるとともに、何かあったら逃げ込む先でしかなかったのです。