その22:王の帰還

 しかしクヌート大王は1035年、41歳という若さで死亡します。エマにはエセルレッド王との間に子供がいましたが、クヌート大王との間にも子供がいたため省みられませんでした。
 そして1042年、クヌート大王の子らが死に絶えノルマンディの僧院よりエドワード王子が帰還し、アングロ・サクソンの王がイングランドに復位しました。
 さてアングロ・サクソンの王が帰還して、イングランドに喜びはあったでしょう。しかしそれは直ぐに落胆に変わります。ノルマンディー公を祖父や伯父にもち、そして亡命中の26年をノルマンディーで過ごした王は古フランス語で会話し、ウェストミンスター大聖堂を建てるも、それはノルマン風の建築でした。また彼は政治自体には興味が無かったため、貴族が政治を握ることになり、王はそれに対抗してノルマン人を引き立てるなど、イングランドは国内分裂状態に近い状態となるのです。
 後にこのノルマン閥はクーデターにより追放されるのですが、そうなるとエドワード王は母エマの兄弟リシャールの子であるロベールの子、現在のノルマンディー公であるギョームとよしみを通じはじめ、1051年には相続者としての指名すらします。
 そして1066年6月、後継者を持たずしてエドワード王は死亡しました。彼の後を臨むものとしては、アングロ・サクソン王朝の傍系としてはエドワード王の兄エドムンドの孫であるエドガー、エドワード王の妃であるエディスの筋ではその弟のハロルド、エマ王妃筋ではノルマンディ公ウィリアム、そしてカヌート大王の筋ではデンマーク王やスウェーデン王が王位を主張できる立場にいました。