その3:ブリタニア属州の外

 こうしてローマ人に圧迫され逃げ出す者はブリタニアの西や北へと移動します。中でも西へ、すなわちウェールズに逃げのびたブリトン人は、自らをカムリ人【Cymry】とも名乗るようになりました。このためこの地はカンブリア【Cambria】とも呼ばれています。
 さて一方の北には(ケルト系)ピクト人の土地(ピクトランド)がありました。このピクト人たちの抵抗は激しく、彼らは独立を守り抜きます。遂に120年頃、ハドリアヌス帝は現在のカンブリア【Cumbria】あたりより「ハドリアヌスの長城」を築き、これがローマ帝国最北端となり、そしてその南側ではローマ人による入植や、そして住民のローマ化が進みました*1

*1:「カンブリア」【Cambria】と【Cumbria】であることに注意。別の土地である。カンブリア紀の由来となったのは前者の方であり、後者はピーター・ラビットで有名。