その6:ゲルマン民族大移動

 こうしたフン族による襲撃のため、西ゴート族ローマ帝国内に定住することを許されました。しかし搾取に怒り、彼らは反乱を起こします。そして378年、ローマ軍は東西ゴート族との決戦に大敗北を喫します。これがゲルマン民族の大移動の始まりです。この後、ゴート族はテオドシウス帝に破れるのですが、395年にテオドシウス帝が死亡し、2人の息子のために分割相続され東西に分かれたローマ帝国は、西ゴート族への給金支払いを停止します。それに怒った西ゴート族は国王アラリックを先頭に東ローマ帝国のガッリアを略奪するや、400年頃にはイタリアに向けて移動し始めます。
 さてブリテン島に焦点を当てたとき、まず始めに主役となるゲルマン民族はやはりアングル族、サクソン族、ジュート族になります。彼らが移動し始めたとき、ガッリアは既に東西のゴート族による略奪を受けており、またヴァンダル族やアラニ族も活躍していました。それゆえ彼らは西へ西へと移動し、それ以前からも海賊行為によりブリタニアの存在は知っていましたが、本格的な移動を始めたのです。
 この時、ブリタニアで推挙されたコンスタンティヌス3世が、ヒスパニア制圧のためにブリタニア駐在の軍団兵を大陸に移動させていたため、ブリタニアを守るものはいませんでした。