「闘争のルーン」と「死のルーン」

 そんな大先生の死塾の話しを耳にして、フマクトが適当言っていたのかな、などと不埒なことを考えていたのだが、馬鹿だからようやく今日になって違う考えに思い至った。
 まずは公式に『Storm Tribe』では「フマクトはスパイクで大先生に闘争の力を教わっていたけれど、それだけじゃあ満足できなくなって旅に出た。そして「死のルーン」を発見した」とある。それと、この頃の偉い神様っていうのは必ず相方がいて、この大先生の相方は先日の日記でも登場した《恍惚の極み》とか、技能だと〈娼技〉なんかを教えてくれるエロっちぃユーレーリア嬢*1だ。さてこの嬢は「生命」の女神様であるからは、平仄があう大先生の力は「死」なのだけれども、上にも書いた通り大先生は「闘争」の神様である。つまりはその頃はやっぱ「死」と言うものは無くって、「†」は「死のルーン」ではなく「闘争のルーン」じゃあなかったんじゃあないか、と思った。
 ヴィヴァモートが護っていたと言う地界の秘密は、「死のルーン」ではなくって「対象が持っている『自分の本来の居場所』情報を『地界』に書き換えちゃう技術」であって、フマクトはそれを「闘争のルーン」と統合することによって、「闘争のルーン」を「死のルーン」へと変えたのではないかな。
 まあ『Storm Tribe』のフマクトの神話には違うことが書いてあるのだけれどもね。

*1:「ユーレーリア嬢」無論、カーガン・トールの相方である以上、この女神様も古い古い、激しく古い神様で、どちらかと言えばユーレーリア婆かもしれないが、そんなことは言ってはいけない