その9:ゲルマン諸王国
こうしてホノリウス帝は西ローマ帝国の存続を図りましたが、406年にはヴァンダル族がガッリアに侵入、その後、エスパニアを通りアフリカにヴァンダル王国を建国、410年にはアラリックに率いられた西ゴート族はローマを占領し、略奪の末に南ガッリア及びエスパニアに西ゴート王国を建国、などという風に、西ローマ帝国領内にゲルマン民族の王国が群雄するという状態で、また国内政治においてもゲルマン人の傭兵隊長が権力を持ち始め、すでに帝国の体をなしていませんでした。
さてブリタニアでは、ローマの支配を離れてからは国家組織と呼べるものは無くなり、領主たちがそれぞれ領地を勝手に統治し、小競り合いを繰り返していました。5世紀中頃にはブリトン系王国の王ボルティゲルンはピクト族に対する防衛に、ジュート族傭兵を雇ってケントに定住させます。蛮族に対し蛮族を当てるという、毒をもって毒を制する策で、最初は功をなしたのですが、ジュート族の王ヘンギストはボルディゲルンを殺し、ケント王国【Kent】を建国します。
またサクソン族は底の浅い船を使って河川に沿って内地に侵入し、429年にはピクト人と連合して戦い、5世紀中頃にはエセックス王国【Essex】*1・サセックス王国【Sussex】*2・ウェセックス王国【Wessex】*3のサクソンの三王国が建設されます。
アングル族もまた幾つかの国を建国し、それは後にイースト・アングリア王国【East Anglia】*4、マーシア王国【Mercia】*5、ノーサンブリア王国【Northumbria】*6に収束されていきます。
- 地図
- http://www.britannia.com/history/600.html
- この地図で言うバーニシア【Bernicia】、デイアラ【Deira】の両王国がノーサンブリア王国にあたる。
- http://www.britannia.com/history/600.html