その10:メロヴィング朝フランク王国

 こうした蛮族の王国が次々に成立していく最中、西ローマ帝国は遂に476年、滅亡します。傭兵隊長オドアケルによって、ロムルス=アウグストゥルス帝が廃位されたのです。オドアケルは次の皇帝を立てることなく、西ローマ帝国の帝位を東ローマ皇帝に返上し、自身がイタリアのパトリキとして君臨しました。
 しかしガッリアでも新たな動きがありました。481年、メロヴィング家【Merowinger】のクロービスがフランク族の支族を統一し、フランク王国を建国したのが始まりです。彼はその後、ゲルマン諸族を攻撃し、中でも西ゴート族エスパニアに追い払い、フランク王国は全ガッリアの覇者となりました。
 ただローマ無く、ゲルマン民族支配下となっても、ローマ文化自体は完全に消えるということはなく残りつづけます。文字もローマ字が用いられるようになります。そもそもローマの属州であった諸地域においては、支配者層がゲルマン民族となったとは言え、被支配者層はケルト人であり、ローマ人であったのですから、当然といえば当然でしょう*1。言語おいてすら、基本語彙や戦争に関するものなどにこそゲルマン語を残しますが、ラテン語を話すようになり始めます。こうしたラテン語が、土地の距離や教育の有無により、様々な形でゲルマン語に引きずられロマンス諸語を形成します。そしてフランク王国では古フランス語が成立しました*2

*1:「ローマの属州であった諸地域」そしてローマ属州でなかった諸地域、つまり今のドイツやスカンジナビア半島などではゲルマン語派の言語が残ります。

*2:「古フランス語」id:Ayukata:10010101#p31「番外:フランス語」を参照。