その20:ノルマンディー公

 北欧のサガによれば“美髪王”ハラルド【】の家来に、「騒音の」エイステイン【】の子、“メーレ湖のヤール*1”ラグンヴァルド【Ragnvalds Möre-Jarl】がいました。そのラグンヴァルドの子ロールヴは、馬に乗れない程の立派な体格であったため、“徒歩の”ロールヴ【Gangu-Hrolf】と呼ばれていました。
 このロールヴは大ヴァイキングと呼ばれるほどの猛者でもあり、バルト海沿岸を略奪していたある日、ハラルド王の領土を襲撃したそうです。それが王に知れ、ロールヴは追放されました。彼はそのまま西へと移動を続け、遂にセーヌ川下流域にたどり着き、あたり一帯の首領格になり、現地、西フランク王国の人間からはロロと呼ばれたそうです。
 さて、これはあくまでも伝承であり、実証するものはありませんが、兎も角も北方人、ノルマン人であるロロは、西フランク王シャルルより公位と公領を貰い、着々と現地に帰化し始めます。
 ロロの子供である二代目ノルマンディー公は正統の剣術で名を馳せた“長剣公”ギョーム【Guillaume Longue Épée】、三代目リシャール【Richard】は武勇のみならず、宮廷作法では貴族中の貴族と呼ばれるほどで、祖父こそノルマン人ではありますが、フランス王国の貴族として恥ずかしくないフランス人に変わっていました。
 そのリシャールの娘、エンマ【Emma】と結婚していたのが、イングランド王エセルレッドです。

*1:「ヤール」族長の意。