その8:ブリタニア放棄

 しかしディヴィド王国は勢力を拡大し、コーンウォール半島にまで進出します。またゲルマン民族らの侵攻も受けて、結局、コーンウォール半島に住んでいたブリトン人の多くは今度は大陸に逃れることになり、そうしてその土地もまたブリトン人の土地、ブリタニアと呼ばれるようになりました。そして本来のブリタニアは大ブリタニアブリタニア・マヨール、グラン・ブルターニュ、グレート・ブリテン。)と、大陸のブリタニアは小ブリタニアブリタニア・ミノール)と呼び分けられます。この小ブリタニアは、現在ブルターニュと呼ばれています*1
 そして410年、西ローマのホノリウス帝は「ホノリウス勅裁書」をブリタニアの各都市に送ります。これはブリタニアに自らを守る権利を委譲するというものです。それだけを聞くと良く聞こえるかもしれませんが、それはすなわちローマはブルタニアを放棄するということであり、ブリタニアは、ローマ化された族長やあるいは帰化したローマ貴族たちを支配者として、各自それぞれに自立しなくてはならなくなります。

*1:ブルターニュ」ケイオシアムの『Pendragon』でブルターニュが出身地として選択できるのはこのためでしょうか。ここは大陸でありながら、カムリ人、ブリトン人の土地なのです。