歴史

『ヴィンランド・サガ』その2

アシェラッドが第一話で「ウォルフの子アシェラッド。我が祖アルトリウスの名にかけて、トルフィンの挑戦を受けよう」などと言っていますが、アルトリウスってことはアチュール*1の子孫(そういう家伝を持っている)ってことで良いのかな? ……ペンドラゴンだ…

『ヴィンランド・サガ』

そうか第一話に11世紀と書かれていたので、あの辺だなぁとぼんやり考えていましたが、よくよく考えればレイフ・エイリークソンが出ているので、ある程度は時代を絞り込めるのか。幸運のレイフがヴィンランドを発見し帰ってきたのが1000年頃と言われていて、…

丹生

ちょこっと調べてみたよ。まずは延喜式の神名帳だね。そうすると南海道は紀伊国に丹生都比賣大神を祀る丹生都比女神社ってあったりする。その丹生都比女神社の祝詞では、丹生都比賣大神を稚日女尊【わか−ひるめ−の−みこと】と同一の神としている。 この稚日…

Periodical Historical Atlas

100年単位で切り分けたヨーロッパの地図のページ。どこで知ったのかは忘れたのだけれど、どこかのサイトで紹介されていたので知りました。

役職

まとまってないな。書き直し予定。 # 水戸家の備前守 『水戸徳川家の附家老に備前守がいる。彼は一時備中守に叙されてもいる。のちにまた備前守になっている。 ここでこれらの叙されて時にその国を統治しているのか否か。そのとき備前の国には主はいなかった…

タレイラン

歴史に分類してもいいのだろうかな? とまれ本日メイルを確認しましたら、以前に書いたタレイラン話(id:Ayukata:20040603、id:Ayukata:20040604、id:Ayukata:20040607#p1)についてお手紙、というか疑問点に対する答えを頂きました。とても嬉しくって返事を…

平教経

入道相国、平清盛の弟である平教盛と藤原資憲の娘との間に1160年生まれ。1179年11月18日、能登守となる。 平氏の中でもガチな武将で、平家の都落ち後、平家討伐の任に付き追いかけてくる木曽次郎義仲との水島合戦(1183年10月1日)では副将として勝利を得ま…

アメリカ合衆国が「合州国」ではない理由についての資料集【絵文録ことのはさんより】

よくよく調べると、アメリカ史もやはり面白いわけです(まあ歴史は押し並べておもろいのですが)。例えば南北戦争は1861〜65年なのですが、その後、負けた南軍の兵隊さんなんかが溢れである西部劇な時代となります。イギリスじゃあヴィクトリア王朝、『クト…

タレイラン【Taleiran and Talleyrand】

このTaleiranってのは、Talleyrandとは無関係? まあ私が片仮名で考えているせいなんだろうなぁ。 などと書いたのですが、その直後、ペリゴール家からタレーラン=ペリゴール家の分岐地点を見つけてしまい、その興奮ですっかり忘れていました。 すると、 念…

合流

シャレ流のシャレ大公「ルイ」ジャン・シャルル・ド・タレーラン=ペリゴール(1675-不明)が結婚したのは1722年、相手はマリー・フランソワーズ・ロシュシュワールという女性でしたが、彼女は未亡人であり、既に前夫との間に1人娘が、マリー・エリザベート…

二つの流れ

さてこの兄弟のうち、アンドレ・ド・タレーラン=ペリゴール(不明)の一流を「Grignol流」と仮に呼びます。が、こちらの流れは以下の様になります。最後のタレーラン侯ダニエル・ド・タレーラン=ペリゴールが、タレイランから見て祖父にあたる人物です。系…

分流

タレーラン侯ダニエルの高祖父に、これまたダニエル・ド・タレーラン=ペリゴール(不明-1618)がいます。彼は遺産相続として恐らく長兄であったアンドレ・ド・タレーラン=ペリゴール(不明)に、父祖伝来の地であるGrignolの地を譲り、その他の地を他の息…

タレイランの家系図

http://www.geocities.jp/ayukata/tree_of_talleyrand.html id:Ayukata:20040603#p4時点で作成した家計図なので、シャルル・ド・タレーラン=ペリゴールからの系図となっています。そこから過去は、id:Ayukata:20040603#p6で示した通り。 で、id:Ayukata:200…

タレイラン

これまでの経緯。 id:cider_kondo:20040528#p2 id:cider_kondo:20040531#p4 なんだか要らぬ思い付きで喋ったことが元で、id:cider_kondoさんに色々と調べてもらったようで、負けてはならじとこちらもちょこっと調べてみました(全体的な系図)。 タレイラン…

タレイランをさかのぼる

下はダニエルの妻の家系でさかのぼったわけだけど、ダニエルその者の出自も発見できました。これで14世紀末から15世紀に生きたシャルル・ド・タレーラン=ペリゴールまで遡れました。どんぴしゃ百年戦争を生きた人物ですな。佐藤賢一の小説に出てきても不思…

ありゃりゃん?

ペリゴール伯エリ・ド・ペリゴール(1255-1315) Taleiran(vers 1301 - 1364 Avignon) ペリゴール伯ロジェ・ベルナール・ド・ペリゴール(1303-1363) Taleiran(不明-1371) このTaleiranってのは、Talleyrandとは無関係? まあ私が片仮名で考えているせ…

タレーラン家

Grignols城主がタレーランの家名を名乗っているのを発見。 Boson de TALLEYRAND(1210-1245)という人物だけど、この人の父親はエリ・ド・ペリゴール、その父はペリゴール伯エリ五世。 どうもエリさんがタレーランと名乗りだして【dit Talleyrand】、それが…

ペリゴール家

ペリゴール伯アルシャンボー・ド・ペリゴール一世、1190-1245 ペリゴール伯エリ・ド・ペリゴール六世、1215-1250 ペリゴール伯アルシャンボー・ド・ペリゴール二世、1230-1295 ペリゴール伯エリ・ド・ペリゴール七世、1255-1315 改行。 ペリゴール伯エリ・ド…

ペリゴール伯位

遡れるところまで遡ってみると、ペリゴール伯にしてアングレーム伯ヴルグリン・ダングレーム(830-875)まで遡れる模様。そのお父さんがフラビィニー伯にしてArgengau伯Ulrich d'Argengau(800-不明)です。 って、ヴルグリンかよウルリッヒかよ。もうおフラ…

たまりません、ドンドンさかのぼれます!

http://www.geocities.com/bpstratton/gedcom/d0005/g0000079.html#I6198 ウルリッヒの母親から遡っていますが、最終的に641年に死んだバヴァリア公ファラと、その父Chrodoald、その母Chlodosindisまで遡っちまいました。時代はもう大化の改新ですよ。

カドフェルな時代について

やはり名作と言うことか、幾人かの方にカドフェルに関してコメントを頂いたので、調子に乗ってつらつらとカドフェルについて考えてみました。しかしやはり魅力的なのはその時代背景なのですが、カドフェルの時代について考える時、その一瞬だけにスポットを…

注意

個人名の読み方は結構グダグダです。古ノルド語やノルウェー語などでの定訳があればご教授いただけるとありがたいです。 家系図サイトを参照している部分、および指輪のシグルドと前後する部分は、幾つかの家系図サイトによって違いが見受けられます。現在、…

エルンスト・ボレイ系図より

エルンスト・ボレイ系図より その子はスウェーデン王“指輪の”シグルド。アルフハイム出身の、ガンドルフ*1の娘アルフヒルドと結ばれる。 その子はラグナール・ロドブロック。シグルド*2の娘アスラウクと結ばれる。 その子はスウェーデン王ビヨルン。 その娘…

家系図サイトより

始めにオーディンあり。フリッグと結ばれる(共に北欧神話より)。 その子は(伝承上の)デーン王スキョル。 その子は(伝承上の)デーン王フリドレイフ。 その子は(伝承上の)デーン王フロディ。 その子は(伝承上の)デーン王フリドレイフ二世。 その子は…

参考文献

佐藤賢一『英仏百年戦争』(中央公論新社) 後半のアンジュー帝国の下りなどは、ほとんど引き写し、つまりはパクっています。 インターネットで検索できるページ沢山。 いや、本当に。ほとんど色んなページのツギハギ状態です。 他にも色々。

番外:フランス語

フランク王国では古フランス語が成立しましたが、これはイル・ド・フランス地方、要はパリ近郊の方言でしかありませんでした。では、他の地域ではどうだったかというと、ゲルマン語からの影響度合いにおいて各地各地の方言、というよりも最早、言語が成立し…

その30:その後の転落

しかしこのジャンはその性、凶悪な人物で家臣たちの信望も薄い人物でした。 これにつけこんだのがフランス王フィリップ2世で、1202年、アンジュー帝国への侵攻を開始します。しかも有力諸侯は皆、フランス王家に鞍替えすると言う始末で、アキテーヌ公領を残…

その29:その後の下り坂

こうした隆盛はひとえに沢山の子供がいたからだとも言われています。彼はフランス王家を始め、周辺国家の多くに子供たちを縁付かせ、その安定を図っていました。 しかしそれも相続となると逆に問題としかなりませんでした。 1169年に作成された遺言書によれ…

その28:その後の上り坂

紆余曲折ありますが、エティエンヌは王位を守りつづけます*1。 しかし彼もまた嫡男を失っており、1153年にマチルドの息子アンリ【Henri】を後継者と指名し、1154年死亡します。こうしてイングランド王の座はアンリの下に移りました。王朝は男系で見るのが多…

その27:カドフェルな時代

マチルドは1128年、エニシダの枝を髪飾りとするなど伊達男“美男伯”としられたアンジュー伯ジェフロワと結婚します。このエニシダの髪飾りは、後に家名としても通用するほど有名だったようです。 遂に1135年12月、アンリが死去し、ノルマンディー公とアングル…